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いじめについて

◎いじめの現状

いじめが社会問題と認識されて久しいが、未だにその実態は把握されておらず、いじめを苦に自殺するケースが後を絶たない。

大津市の中学生がいじめを苦に自殺した問題は、その後半年も経ってから警察が強制捜査に踏み切るという異例の事態に及び、学校や教育委員会に対する不信感が高まっている。

実は私の甥も、昨年イジメが発覚して大騒ぎになったが、その時の学校側の調査対応も至らぬものであった。

学校側の対応は何故お粗末になりがちなのか?
子供をいじめから守るにはどうしたら良いのか?
本稿では、甥の事例をモデルケースとして、詳しく解説する。



◎学校側の調査結果

私が甥の件をはじめて知った頃、学校側の調査は一段落した後だった。それによると、中学生の甥は休日に校外で友人達に性的行為を強要され、それを携帯カメラで撮られた上、メールでクラス中にばらまかれた、とのこと。

この事件は、甥が友人から財布を三度も買わされて、不審に思った姉(母親)が甥を問い詰めたことがきっかけで発覚した。
(自首者や告発者は一人もいない)

学校側は加害者と親を集め、調査結果を説明し、厳しく説教した。その後、被害者の母親である姉にこう告げた。
「学校側でできるのはここまでなので、警察に被害届を出すかどうかは親御さんが決めてください」



◎中途半端はNG

私はこの話を聞いて「これじゃダメだ!」と強く感じた。いじめは発覚しにくいものであるが、一度発覚した以上は徹底的にやらねばならない。中途半端な対応は逆恨みを招き、(ほとぼりが冷めた頃を見計らって)いじめが更に激しくなる恐れがある。

徹底的とは、加害者が‘心から反省する’か‘こいつに手を出したらこっちがヤバイ’と思うまでやる、ということであるが、親や先生が説教しただけで心から反省する素直な良い子なら、ここまで酷いことはしないだろう。



◎被害者の母親の心境

私に事の顛末を説明し、相談を持ちかけたのは姉(=被害者の母親)だが、その姉に対しても「これじゃダメだ!」と感じることがあった。

我が子が酷いいじめを受けていたという事実にショックを受け、
「でも、うちの子にも落ち度はあるし、もうどうしたらいいかわからなくて…」
姉が私に対して弱音を吐いたのは、恐らく初めてである。
私は姉に同情する半面、「だからダメなんだ!」と感じた。

姉の反応は、常識的かつ世間体を気にする一般的な母親の反応である。彼女達はいじめの実態を知らず、いじめとけんかの違いすら理解していない。けんかは両成敗でもOKだが、いじめを両成敗で片付けたら、救える子も救えない。

実際、甥は学習障害の疑いがあり、成績も素行も良くない。悪意は無いが常識に欠け、(本人が気付かずに)周囲に迷惑をかけることも多い。彼の存在を不快に感じた連中が、彼に罰を与えるという大義名分で周囲を黙らせた可能性も考えられる。

しかし、いじめは「最初に悪いのは誰か?」が問題ではない。例え甥に落ち度があったとしても、過大な罰を与える口実にはならない。私は姉にこう告げた。

「赤信号を渡るのは悪いことだ。だからと言って、赤信号を渡る人をひき殺して良い道理は無い。我が子がひき殺された時も『赤信号を渡ったうちの子も悪かったから仕方ない』と言うつもりか?」


○追記(2012/8/15)
念のため補足すると、
A:ブレーキを踏んだが間に合わなかった
B:邪魔なので跳ね飛ばした(殺すつもりはなかった)
ここではBのケースを想定しており、事故というより殺人に近い。




◎親の責務

本件は、犯罪に抵触する行為(もし大人の世界で被害者が女性であれば、強姦脅迫罪に問われる行為)であり、「最初に悪いことしたのはアイツだ!」とか「冗談のつもりだった」で済む話ではない。慰謝料かブタ箱行きの話である。
(後日、警察の担当者に問題の画像を見せて相談したら「これは慰謝料を請求できるレベルですね」と言われた)

しかし今回は加害者が子供なので、罪の重さを自覚させ、心から反省を促すと共に、再発防止を優先したい。だが、被害者の親が最初から「うちの子も悪かったから…」などと言えば、加害者は「ほら見ろ!アイツも悪かったからお互い様だ!」と思ってしまい、自らの罪の重さに気付けない。

私は姉の説得に成功した。姉は、「自分がしっかりしないと、我が子を救えない」という事実を認知し、その後は義兄(甥の父親)と共に学校や警察に積極的に相談を持ちかけ、加害者側が改めて謝罪することで話はまとまりつつあった。



◎新事実発覚

大人達の話がまとまりつつある中で、私はまだ「甥はもういじめられないだろう」という感触を得られずにいた。

その原因をよくよく考えて突き詰めると、これほど酷い行為が突発的に発生するとは思えないという違和感であった。つまり、いじめは以前から多発していたと考えるのが妥当であろう。私は甥の部屋に二人きりとなって、聞き取りを試みた。

実を言うと、私はそれまで姉一家と疎遠で、甥と話したことは殆ど無かった。本件を姉から初めて聞いた時、甥は「何で言ったんだ!」と姉を激しく罵倒した。甥としては、不名誉な話を他人に聞かれたくなかったのであろう。

しかしその後の私の対応を見て、すっかり信用してくれたらしく、彼はそれまで誰にも話さなかったことを打ち明けてくれた。小学校の頃から何度もいじめを受けたこと。いじめが発覚したこともあるが、中途半端な対応でさらに酷くなったこと。性的被害は過去にもあり、加害者は部活など他にも沢山いること。

何故誰にも話さなかったのか聞き出すと、加害者側に親しい友人が含まれるので、彼をかばっていたらしい。また、大事(おおごと)になって部活が停止や廃部になるのを恐れたようだ。私は甥にそういう一面があることを知り、彼に対する認識を改めた。

私は甥を説得し、この話を両親に打ち明けることに同意してもらった。



◎修羅場

両親に新事実を打ち明けると、姉は凄まじい剣幕でまくしたてた。
「なんで今更そんな事を言うの!聞かなかったことにするからね!!」
私は驚きのあまり、一瞬言葉を失った。
(子供が勇気を出して告発したのに、なんて酷い母親だ。子供が言い出せなかったのも無理ないな…)

しかし私が反論する前に、それまで黙っていた義兄(甥の父親)が怒りを爆発させた。
「いいや全部ぶちまける!特に部活の連中は卑怯で許せん!」

義兄は、最初の一件が発覚した後、部活の同期達が口止めしたことに激怒した。部活の同期達曰く「部活の件が発覚すると部活停止になる。俺達はいいが、3年生が大会に出れなくなると気の毒だから、部活の件は黙っててくれ」

義兄は、3年生をダシに自分達の罪を隠蔽しようとした連中が許せなかった。普段無口な義兄が、姉の反対を押し切って「絶対に全部ぶちまける!」と意気込み、大事にしたくないと心配する甥に対して「いざとなったら転校させてやる!!」と断言した。

ここまで来れば、もう私の出る幕は無い。私は義兄に対する認識を改めた。

帰り際、私は義兄から「いろいろありがとう」とお礼を言われ、私はこの日初めて義兄や甥と心から通じ合った気がした。(ちなみに、姉はこの時点ではまだ釈然としない様子であったが、後日「自分は悪い母親だった」と反省した)



◎後日談

全ての事実がぶちまけられると、甥は部活の連中から「何で言ったんだ!」「お前さえ黙っていれば…」と非難された。だが、しばらくすると態度が変わり、「お前は悪くないよな…」と謝ってきたらしい。

甥からこの話を聞いて、私は「もう大丈夫だろう」と確信した。全ての子が反省したという確証はないが、「あいつをいじめると大人達に筒抜けで叱られる」という認識は浸透したようなので、もし逆恨みした子がいたとしても、従来のように軽々しく手は出せないはずだ。

甥ははじめ
「大事になればなるほど自分の立場が悪くなる」
「自分のことでこれ以上周りに迷惑をかけたくない」
と考えていたらしい。

しかし、全てを白日の元に晒した結果、最終的にはいじめを脱し、人間関係も改善したようだ。



◎信頼されない大人達

今回の件で私が強く感じたのは、子供達の‘大人達に対する不信感’は想像以上に根強い、ということ。

最初の一件が発覚した後、学校側は子供達の携帯を押収したり、聞き取り調査を実施した。しかし誰一人として、証拠を突きつけられた以上の事実は告白しなかった。加害者はもちろん、メール受信者も被害者さえも、頑なに口を閉ざす。下手に告げ口すると、加害者達の逆恨みを買い、自分がもっと酷い目に合う事を恐れている。

これは要するに、中途半端な対応しかできない大人達よりも、いじめっ子達の報復攻撃の方が恐ろしい、ということだ。大人達はそこまで見透かされ、ナメられている。

事実、学校側は氷山の一角だけ調査していじめの全容を解明したと考え、「学校側で出来るのはここまでです」と自ら述べた。常識的に考えればその通りだと思うし、大津市の最悪なケースに比べれば、まだマシと言えるかもしれない。

しかし、そんな常識的で中途半端な対応しかしないから、いじめの実態は未だに把握されず、いじめを苦に自殺する子が後を絶たない。子供達を自殺から救いたいと本気で願うなら、子供達から信頼される大人になる必要がある。

・この人は信用できる(嘘を言ったり裏切ったりしない)
・この人は信頼できる(今より良い状況にしてくれる→中途半端な対応で悪化させたりしない)

子供達から信用と信頼を両方勝ち取って初めて、子供達は重い口を開く。

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テーマ : 政治・時事問題
ジャンル : 政治・経済

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子供の教育について(1/2)

 
◎教育現場の実態

子供は勉強が嫌いだ。勉強好きの子供は稀で、全体の1割にも満たないだろう。

聞き分けの良い子は我慢して勉強するが、聞き分けの悪い子や要領の悪い子は、サボったり成績が悪かったりする。

一方で、親や先生は子供に勉強させたいと盲目的に願う。
母親が子供に「勉強しなさい!」とガミガミ言うシーンはその象徴と言えるだろう。

筆者は、このシーンに日本の教育問題が凝縮されているように感じる。
そこで本稿では「何がどう問題なのか?」「どうあるべきか?」を考察する。



◎子供の本音

親や先生が直面する最大の課題は「勉強嫌いな子供たちをいかにやる気にさせるか?」である。しかしそれを考える前に、1つ重要なポイントを忘れてはならない。

そもそも、子供達が勉強を嫌うのは何故か?

人間には知識欲があり、知識が満たされるとちょっと嬉しい。
長く追い求めていた答えが見付かると、感動することもある。

ところが、現在は過度な詰め込み教育で、限られた期間に、子供達の知識欲を超えた質量を、問答無用で叩き込む。

子供達はハライッパイで、これ以上受け付けたくない(飽きた)。しかし

「やりたくないけど仕方なく勉強させられている」

これが子供の本音であり、勉強嫌いでやる気がおきない原因である。



◎詰め込み教育の実態

私の甥は現在中学生で、小学生レベルの読み書きや九九はほぼマスターしている。もし彼が江戸時代にタイムスリップしたら、神童と噂されるに違いない。

しかし現在の基準では、彼の成績は最低レベルで、学年でもビリに近い。数学では三角関数や二次曲線が登場し、彼の知識欲や理解力の限界を超えつつある。

僅か二百年程度で、教育水準はこれほど上昇し、子供たちに高いハードルを突き付けているのだ。ハードルを越えられない甥は落ちこぼれと見なされやすく、家では勉強しろ宿題やれと何百回も小言を言われ、学校では馬鹿にされいじめられることもある。

勉強や宿題をサボりがちな甥が悪いのは事実だが、そもそも勉強嫌いな甥に対し、三角関数や二次曲線を無理矢理詰め込むことに、どれほどの意義があるのか?

大人達に聞いてみたい。
「三角関数の知識が社会に出て役に立ちましたか?」
10人のうち9人はNoと答えるのではなかろうか?




◎大人の方便

勉強を強いられる子供達は「何故勉強しなきゃいけないのか?」と疑問を抱く。その疑問が解決できないと、なかなか本気で勉強する気になれない。そこで、子供達の疑問を手っ取り早く解決する方便がコレだ。

「いい高校、いい大学、いい会社に入るために必要だ」

これは大人の方便(=善意に基づく嘘)である。

私はこの方便を‘悪’と一概に決めつける気はない。この方便を素直に信じた子供が勉強に励むケースがあるかもしれないし、それは悪いことではないだろう。

問題は、大人達の半数以上(特に母親)がこの方便を信じ込み、今や都市伝説以上の信憑性をもって語られている点にある。



◎母親の本音

母親の本音はコレだ。

「このレールから脱落したら、我が子が不幸な人生を送るのではないか?」

その不安がどうしても頭から離れず、不安から逃れるために、子供を勉強へと駆り立てる。その結果「何のために勉強するのか?」という本来の目的を見失い、成績ばかりに目が行き、子供の気持ちを考える余裕を失う。

そんな親に勉強しろしろと何度言われても、子供の心には素直に届かない。
言われる度に不満やストレスが溜まり、自信を無くす。

終いには子供の反発や家庭の心理的崩壊を招くこともあるが、困ったことに、(親の言うことを聞かない)子供が悪いと考えて、自分自身が子供を追い込んでいる事実に気付かない親が少なくない。

正論を言ってる自分が正しいという思い込みは強力で、始末が悪い。
正論がいついかなる場合でも通用し、誰もが幸せになれるとは限らない。


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子供の教育について(2/2)

 
◎過当競争時代の学歴

母親達の眼を覚ますために、改めて断言しよう。

 いい高校、いい大学、いい会社

これは大人の方便で、今となっては幻想に過ぎない。

[ 経緯 ]
これは高度経済成長期に学歴コンプレックスを持つ親達が言い出した事である。
当時の経済は右肩上がりに成長し、学歴をベースとした年功序列制度が幅を利かせ、学歴社会と言われた。


バブル崩壊後の過当競争時代では、学歴を重視する企業など存在しない。
にもかかわらず、母親の大半は子供を塾に通わせ、子供を進学させたいと願う。
子供自身がそれを望むケースはともかく、勉強嫌いな子供まで進学させても不幸になる可能性が高い。

以下にその根拠を説明する。

恋愛ドラマの世界では、恋する男女が結ばれて結婚するとハッピーエンドである。
しかし現実の世界では、結婚はゴールではない。二人の家庭を築くスタートである。
「結婚=幸福」ではなく、二人が互いに支え合って幸せになろうと努力し続けることにより、はじめて幸福を手中に出来る。
それを勘違いして「相手に幸せにしてもらう」ことばかり考えると、家庭は崩壊し不幸になる。

これと似たような事は、会社にも当てはまる。
入社はゴールではない。過当競争の生き残りをかけたスタートである。
「大企業に入社=幸福」ではなく、大企業の重圧/責任/しがらみ等を乗り越えて勝ち続けなければ、幸福は手中に出来ない。
それを勘違いして「大企業なら安定だ」などと甘い考えで入社すると、過当競争の現実に着いていけず、短期間で退職に追い込まれたり、鬱になるのがオチである。
(↑大企業を正社員に読み換えても良い)

低学歴者は就職時に不利になるが、昔ほど大きなハンデではない。その程度のハンデを超えられない人は、学歴のハンデが無かったとしても、過当競争に勝ち残れるとは思えない。



◎何故勉強するのか?

過当競争の時代において、学歴は役に立たない。
また、中学以降で学ぶ知識は、社会に出ると殆ど役に立たない。

では、何故勉強するのか?
知識を役立てるコツを掴むために勉強するのである。

今の時代、知識はインターネットから簡単に入手できる。
しかし、知識を役立てる事が出来なければ何の意味も無い。


知識を役立てるにはコツがある。
例えば、数学は公式という知識を役立てて問題をパターン化して解くのがコツである。
しかし、学校の勉強には問題が2つある。

・机上の問題には強いが、現実世界の複雑な問題には弱い
 →社会/経済(コスト)/文化/思想/理論などあらゆる要素を総合的に考えて
  ベストの方法を導き出すことが苦手

・学習速度に追いつけない子に対するフォローが弱い
 →一人一人に合わせたフォローが理想であり、理想に近付ける努力をすべきだが、
  現実問題として社会コスト的な限界はある
 →そもそも勉強嫌いな子を無理にレールに乗せる必要があるのか?



◎理想的な教育の事例

現実世界の複雑な問題に対応できる人物を育てる手法は幾つかある。
ここでは、実在の社会問題を学校教育に取り入れた事例を紹介する。

東日本大震災で大量のガレキが発生し、広域分散処理を図ろうとしたら、賛否両論が噴出して社会問題になった。そこである学校では「自分が自治体首長だったらガレキを受け入れるか?」を命題として生徒達に議論させ、グループ単位で結論を出すよう求めた。

こういう場において、他人の意見に耳を傾け、吸収または反論し、グループの意見集約に積極的に貢献する子供は、将来どのような現場においても主体的に活躍する人物となるだろう。彼らは日本の将来を引っ張る若きリーダー候補であり、このような子供が増えれば日本の将来は明るい。これは活きた教育の好例である。



◎問題点

活きた教育は昔から度々試みられてきたが、なかなか浸透しない。その原因は、これが成績や学歴に一切反映されず、母親達の賛同を得ることが難しい点にある。

母親達にとって、この教育は一般論として好ましいという程度の認識に留まり、実際に我が子の従来型学習時間(国数英理社)を減らしてそちらを強化するとなれば、不安や反対の声が高まる。これが日本の教育にとって致命的なプレッシャーであり、子供達の可能性を閉ざす障害となっている。

実際問題として、従来型の学習時間を減らせばテストの点数や学歴が低下する可能性は高い。しかし過当競争時代において、リーダーシップやコミュニケーション能力を無視する(育もうとしない)従来型の教育思想は、子供の幸福に繋がるだろうか?



◎精神面について

近年の傾向として、精神的に未熟な若者が増えつつある。

・自主性が低い
・ストレスに弱い
・他人の気持ちが理解できず協調性に欠ける
・少しでも理不尽に感じると我慢できない

学力低下よりも、精神面の方が深刻ではなかろうか?

精神面は知識だけで強化されるものではなく、様々な経験(努力/試行錯誤/出逢い/コミュニケーション/成功/挫折など)を通して強化される。

そのためにもやはり活きた教育を重視すべきであり、何よりもまず母親がそのことを理解すべきであろう。



◎まとめ

過度な詰め込み教育による弊害で、勉強嫌いな子供は多い。
それでも親は子供に「勉強しなさい!」と言い、できることなら

 いい高校、いい大学、いい会社

このレールに乗せたいと盲目的に願う。
しかし過当競争時代において学歴など無意味であり、幻想を追い求めるに等しい。

過当競争時代を生き抜く芯の強い子を育てるために、知識詰め込み型の従来教育を脱却し、活きた教育を普及させることが望ましい。しかし学歴を盲信する母親達の賛同が得られず、普及が進まないのが現状である。

教育改革の第一歩は、世間知らずな母親達の眼を覚ますことではなかろうか?

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新型うつについて

以下は、ツイッターで発言した内容の転載です。


NHKスペシャル「職場を襲う"新型うつ"」視聴しました。ミニドラマもあったりして、わりと面白かったです。しかし新型うつに対する理解や共感は、正直まだ低いです。30%ぐらいかな?

気持ちは分からなくもないですが、
「社会全体の因果関係や自分の立場を理解してないので理不尽に感じることが多い」
「過保護でストレスに慣れておらず、理不尽と感じたら我慢できない」
だけという気もします。

番組で紹介されてましたが、新人教育の一環として自衛隊訓練を受けさせると、精神的に強くなりそうです。ちなみに私が居た会社は、(精神強化目的で)新人に一ヶ月間のインド研修を課してました。

そしてもう1つ、社会全体の因果関係や、自分の立場と役割を理解させることですが…これは難題かもしれません。政治や社会に関心が低く、コミュニケーション力も低い若者は、話の途中で突然キレたりします。

何故突然キレるかと言うと、彼らは文章を1つ1つ分解して解読するだけで、文章全体から総合的な意味を捉えようとしないので、比喩や冗談が通じにくくバカにされたと勘違いしやすいのです。そして一度不信感を覚えると、何を言っても受け付けてくれません。

若者の日本語力が高まれば、誤解が減り、彼ら自身のストレスも軽減されて皆が幸せになれるかも。しかし当人に「もっと日本語勉強しろ!」などと言ったら、それこそ「馬鹿にするな!」と反発されそうです^^;

ちなみに私は在職当時「若者世代とも年配世代とも話が通じる現場リーダー」と上司部下双方から信頼され、活躍できました。そんな私に言わせれば、「俺達が若い頃はこうだったんだからそれに合わせろ!」とか「上から目線で俺の事をちっとも理解してくれない!」ではなく、自分から相手の事を理解しようと歩み寄る姿勢が大切だと思います。



今朝の新型うつ関連の発言は、若者に厳しい意見に偏ってしまったようなので、若者の立場を援護する意見も言っておきます。

番組の中で「若者だけでなく年配者もコミュニケーション力が低い」という意見がありましたが、この指摘は正しいと思います。年配者には『酒の力を借りないと本音を語れない』人が多く、彼らは飲みニケーション力は高いけど、コミュニケーション力は低いと言えます。

飲みニケーションによるフォローが無いのに、部下への接し方が昔と変わらないと、ただ厳しいだけの上司にしか見えません。部下を無理矢理飲みに連れ出すのではなく、酒が無くても本音で語り合えるようになるべきです。

若者と年配者(そして親にも)共通して言えるのは『己の主張を相手に伝えたいという気持ちだけ先行しがち』ということ。相手に対する関心を高め、相手が何を考えてるのか理解しながら話をしないと、双方向のコミュニケーションは成立しませんよ?

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原発ありきの弊害について(あとがき)

 
私は脱原発依存派ですが、「何が何でも反対!」とは言いません。本文に書いたように、依存体質さえ解消すれば原発という選択肢を議論するのはアリです。しかし、原発推進派は「何が何でも再稼働!」と盲目的に言ってるようにしか聞こえません。
(これを私は「原発ありき」と表記しました)

そもそも私は‘電気が足りない説’に懐疑的ですが、仮に不足するとしたら、何基稼働すれば足りるのでしょうか?
1基?
10基?
それとも国内54基全て?

恐らく推進派は明確な数値を出しません。
出すとしたら「国内54基全て必要」と言うでしょう。
もし「半分で足りる」などと言ってしまったら、半分は廃炉となり、交付金等の収入を減らしたくない地元同士で激しい陳情合戦が繰り広げられることになります。
つまり「電気が足りないから原発が必要」ではなく「交付金や地域経済のために原発が必要」というわけです。

しかしながら、日本は少子化低人口時代を迎えました。
大量生産大量消費から、身の丈に合った生活やインフラに移行すべき時代です。
バブル期のような大型公共事業頼みの経済は、やがて立ち行かなくなります。
事故を機に、原発依存経済から脱却するのが賢明です。


それと。
私は「原発の時代は終わった」と思っています。

明治維新の頃は、石炭が鉄鋼業を支えるエネルギーとなり、日本を繁栄に導きました。その後石炭から石油、原子力と主役は交代し、今後は自然エネルギーの時代に移行すると思います。
(現状で、原発をエネルギー政策の柱に据えているのは日本とフランスだけです)

炭鉱頼みの町は、石炭の時代の終焉と共に廃れます。
町が廃れるのが嫌なら「炭鉱を閉山するな!」と要求するのではなく「別のもので活性化する」ことが重要です。

数十年後の未来を想像してみましょう。
原発が何基稼働してると思いますか?他国は?
自然エネルギーの比率は現在より増えると思いますか?他国は?

今のうちに原発から脱却しないと、かつての炭鉱のように「次の廃炉はウチか?」とビクビクし続けることになりますよ?

そんな先の無い未来よりも、地域固有の眠れる資源(文化や食材等)を掘り起こして全国にアピールした方が、明るい未来に繋がると思います^^


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プロフィール

Na-7

Author:Na-7
SE(システムエンジニア)として約15年間システム系ソフト会社を勤めあげ、2008年3月退社。現在、ゲーム制作会社設立を目指して活動中。

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