FC2ブログ
コンテントヘッダー

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
コンテントヘッダー

原発ありきの弊害について(1/2)


原発事故から1年あまりが経過した。
本稿では、脱原発の状況や原発ありきの弊害について論述する。


◎民間レベルの状況

企業や個人などの民間レベルでは、節電や自然エネルギー開発がハイペースで進んでいる。

(定検等で)原発が順次停止したが、国民一人一人の知恵や努力の積み重ねで、猛暑も厳冬も無事乗り切った。
国内54基の原発のうち、現在稼働中はたった1基である。
原発は、止めようと思えば止められるのだ。

また、太陽光/風力/地熱/小型水力/バイオ発電などの自然エネルギーも、開発や普及が急ピッチで進みつつある。世界的な視野から見ても、自然エネルギーは(原発エネルギーより)将来性が高い。
(発電だけでなく経済効果まで期待できるレベルになってきた、ということ)



◎公的機関の状況

民間レベルでは、脱原発に向けてこれだけ進んでいるというのに、政府や自治体といった公的機関では、脱原発に逆行する動きが目立つ。

「原発の安全性を高めて再び事故が起こらないようにする」
「地元の復興のためにも、早く再稼働できる体制を作らないと」

事故後も上記のようなことを言う大臣や自治体がいる。

「未だ家に帰れない人が大勢いるのに、なんでそんなことが言えるのか?」

事故直後は、筆者に彼らの胸中は理解できなかった。しかし原発マネーや雇用の実態が見えてくると、次第に彼らの意図が理解できるようになってきた。



◎原発推進派の本音

原発推進派は「原発こそが電気を一番安く安定供給できる」と主張するが、その理論はかつての安全神話と同様の幻想に過ぎず、今なら簡単に論破できる。しかし推進派の本音はそこじゃない。

推進派の本音は「原発マネーや雇用を守りたい」だ。原発が無くなると収入が断たれ、生活が崩壊する。下手すると町ごと無くなる。だからこれほどの大事故が起きても、原発をやめない。やめられない。



◎何故原発は事故るのか?

では、原発をやめずに続けた場合、どうなるか?

形ある物は必ず壊れる。原発もいつかは壊れる。事故る。
当然だ。永久に壊れない/事故らないシステムなど、この世に存在しない。
大規模公共システムのPL(プロジェクトリーダ)を務めた筆者が保障する。
全財産賭けても良い。

誤解しないで欲しいのだが、システムの故障や事故は、本質的な問題ではない。
要は、重大事故に繋がらなければ良いのだ。
公共的な基幹システムは、重大事故を防ぐための基準や仕組みが整備されている。通常は心配いらない。
ところが、原発にはその仕組みを全て打ち消す最凶最悪の魔法‘原発ありき’がある。

どんなに厳しいハードやソフトや監視体制で安全性を高めても、‘原発ありき’によって骨抜きにされてしまう。だって、原発がないと、原発マネーや雇用が守れないんだよ?生活が崩壊するんだよ?安全基準を満たそうが満たすまいが、最後は「稼働するしかない」という話になる。他に選択の余地はない。(思考停止)

安全基準を満たさなくても、満たしたように見せかけて稼働すると、いずれ大事故を引き起こす。小学生でも分かる話なのに、エライ立場の大人ほど、思考停止の過ちを犯してしまう。



◎基準が歪められた実例

筆者は‘原発ありき’が安全基準を歪め、大事故を誘発すると確信している。
以下に具体的な実例を示す。


原発先進国アメリカでは、原発建設時に低人口地帯を作るよう義務付けられている。
しかし国土の狭い日本で低人口地帯を作ることは困難。本来ならば「日本国内では原発建設不可」と結論付けるのが筋である。

しかし‘原発ありき’がこれを歪めてしまった。深刻な事故は起きないことにして、「低人口地域じゃなくても建設OK!」と結論付けたのだ。

要するに、日本国内の原発は全て米国基準を満たしておらず、(少なくとも米国よりは)危険な状態にある。しかし事故前は、政府や電力会社からそのような説明は一切無かった。

原発ありき’が、周辺住民の安全を置き去りにしてしまったわけだ。


次頁>

スポンサーサイト

テーマ : 政治・時事問題
ジャンル : 政治・経済

コンテントヘッダー

原発ありきの弊害について(2/2)

◎さらなる弊害

また、‘原発ありき’は原発関係者の判断を曇らせ、隠蔽を誘発する。

「これはヤバイ!」と誰かが気付いても、それを発表すると「雇用や町が消えてしまうかも」と不安になり、なかなか言いだせない。勇気を振り絞って発表しても「そんなことはありえない!馬鹿なこと言うな!」と否定され、迫害を受ける。やがて皆が事実から目を背け、終いには隠蔽を図るようになる。

実例を挙げよう。
事故直後に炉心溶融(メルトダウン)の可能性に気付き、会見で言及した審議官は、「臆測でモノを言うな!」と圧力を受け、担当を外された(実質的な左遷)。

むしろ「メルトダウンなんてありえない!」の方が、臆測(というかただの願望)に過ぎないのだが、‘原発ありき’が思考を停止させ、事実から目を背けさせた。

以後、メルトダウンの可能性に言及することはタブーとなり、最悪の事態を想定することが許されない雰囲気となってしまった。(本当にメルトダウンしていたのだが、その事実が公式に認められたのは二カ月も経ってからである)

結果として、最悪の事態を想定して先手を打つことができず、対処が後手後手にまわって、被害の拡大を招いた。



◎現在進行形の‘原発ありき’

冒頭にも記述したが、国内54基の原発のうち53基は定期点検等で停止中。稼働してるのは1基のみ。これも5月に停止する予定。
本来は、ストレステスト(耐性検査)を全てクリアし、一定の安全性が確認出来てから「再稼働すべきか?」を議論するのが筋である。

ところが、まだストレステスト一次審査中だというのに
「原発を再稼働しないと、電力不足で大変なことになる!」
とことさら危機感を煽る人達がいる。

電力不足は確かに大きな問題だ。しかしだからと言って、安全性が未確認の原発を動かすという結論に直結するのはおかしい。

・電力は本当に不足するか?

・原発が再び事故る可能性はどの程度か?

・今度事故ったら、誰がどのように責任を取るのか?

・(正常運転後の)核燃料を安全に廃棄するための予算と期間は、あとどれぐらい必要か?

・自然エネルギー普及はどこまで進むか?

・当面は火力(天然ガス等)を主力とし、徐々に自然エネルギーに移行するのはどうか?(筆者イチオシ)

課題も問題も選択肢も山ほどあるのに、いきなり「原発再稼働しないとヤバイ!」と結論を出すのは‘原発ありき’だ。その結論ありきの姿勢が、原発の安全性を低下させるという因果関係に、いい加減気付いて欲しい。



◎原発再稼働の条件

どれほど厳しい安全基準を設けても、基準を満たさない時に停止/廃止という選択肢が実質的に無ければ、「(ごまかしてでも)動かすしかない!」という結論しか出てこない。これでは原発の安全性が担保できないし、隠蔽体質も無くならない。

原発を稼働するから事故るのではない。原発を止めると困る人がいるから、都合の悪い事実から目を背け、大事故に至るのだ。

安全性を担保するには、基準を満たさない時に停止/廃止する実質的な選択肢が不可欠。そのためには‘原発が停止/廃止されても誰も困らない状態’即ち‘脱原発(依存)’を実現するしかない。

『原発の安全確保のためにも、脱原発は不可欠』

これが筆者の結論である。


脱原発を実現したら、本当に安全な原発運用(基準を満たさない場合は停止/廃止する)ができるかもしれないので、原発再稼働を前向きに検討しても良い。だが、脱原発を実現した後で「それでも原発は必要だ!」と本気で主張する人が居るだろうか?



◎原発は本当に必要か?

原発マネー依存者が事故の被害に遭うのであれば、自業自得と言えるかもしれない。しかし実際に事故ると、被害は広範囲かつ長期間に及び、原発と無関係な人々や自然にも致命的な影響を与えてしまう。そのリスクを承知の上で、原発を選択する理由が本当にあるのか?

例えば、飯館村のように農業で暮らしていた人々が、事故後1年経っても自宅に帰れるメドが立たない。帰れるようになったとしても、以前の暮らしは取り戻せない。原発マネーと無関係の彼らが、何故こんな目に遭わねばならないのか?

彼らの前で「それでも原発は必要だ!」と説明できる人はいるのか?
納得は得られるのか?
それが出来ないなら、原発は選択肢から外すべきだ。


あとがき>


<前頁に戻る>

<目次に戻る>

テーマ : 政治・時事問題
ジャンル : 政治・経済

プロフィール

Na-7

Author:Na-7
SE(システムエンジニア)として約15年間システム系ソフト会社を勤めあげ、2008年3月退社。現在、ゲーム制作会社設立を目指して活動中。

アクセスカウンター
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。